新品のキャンプギアが、ちょっと恥ずかしい
もう少しキャンプネタが続きます。
キャンプギアを買ったばかりのとき、少しだけ恥ずかしい気持ちになります。
とにかくピカピカなんです。新品を買ったのだから当たり前なのですが、いざキャンプ場へ持ち込むとその眩しすぎるピカピカが妙に気になって落ち着きません。
もちろん、わざと傷をつけたり、力任せに汚したりしたいわけではありません。
ただ、使いながら「早く、もう少しこの場所に馴染んでくれないかな」と思っているのです。
傷がついて、少しくすんで、火を使う道具なら渋い焼き跡が残る。そうなってからの方が、キャンプギアは圧倒的に格好いい。少なくとも私は、そう思っています。
私が大切にしているランタンは、1930年代から40年代につくられたドイツのFEUERHANDが中心です。
当然、新品ではありません。あちこちに錆があり、塗装も剥げ、全体がくすんでいます。
本気で磨き上げればもっと綺麗になるのでしょうけれど、私はこのままがいい。 
80年、90年という途方もない時間が、そのランタンの表情として残っているからです。
静かに火を灯しながらときどき思いを馳せます。
これが生まれた頃、ドイツではどんな人が暮らし、どんな夜を照らしていたのだろう。
(ほや、ガラスの部分はMagma Glassに替えています)
1940年代といえば、第二次世界大戦の真っただ中です。
軍の現場で使われていたのかもしれないし、名もなき市井の家庭を温かく照らしていたのかもしれない。
今となっては確かめる術もなく、想像するしかありません。けれど、自分が生まれるずっと前につくられたものが、巡り巡って今、自分のキャンプサイトで当たり前のように灯っている。
そう考えると、胸の奥がじんと熱くなるような、なんとも言えない愛おしさが湧いてきます。
ヴィンテージギアに惹かれる理由は、単に古い見た目が格好いいからではありません。
そこに、途切れることなく続いてきた「時間」が残っているからです。
もう一つ、私は真鍮(ブラス)でできたギアが好きです。
これも買ったばかりの時は金色に輝いてピカピカですが、ずっとそのままでいるわけではありません。
使い込むうちに少しずつ落ち着いた色合いにくすみ、触れた指の跡が残り、風合いが深まっていきます。
新品の状態を保ちたければ、定期的に磨けば元通りになります。でも、私はあまり磨きたくありません。
せっかく時間をかけて育ってきた渋みを、また最初の状態にリセットしてしまうのがなんだかもったいない気がするのです。
昨日ついた小さな傷と、数年前のキャンプでついた傷。炎のそばでじっと耐えてきた跡。何度も手で握りしめた場所だけが変わっていく色合い。
ヴィンテージのFEUERHANDに刻まれている時間は、誰か別の人が紡いできた歴史です。
けれど、いま使っている真鍮のギアに刻まれていくのは、これから私自身が重ねていく時間そのものです。
そう思うと、道具がくすんでいくことすら愛おしく楽しくなってきます。
そんなことを考えながら愛用のギアを眺めていると、またいつの間にか仕事のことを考えていました。
せっかく「命の洗濯」に来ているというのに困ったものです。(笑)
企業のホームページをつくる仕事をしていると、どうしても「綺麗に見せる」作業が発生します。
プロの手で写真を美しく撮影し、文章を綺麗に整え、洗練されたデザインで包み込む。
もちろん、それはプロとして大切な仕事です。
けれど最近、「会社までピカピカに磨き上げて、新品のように見せてしまって本当にいいのだろうか」と考えるようになりました。
創業して20年、30年、40年と暖簾を守ってきた会社が、ずっと傷一つない新品のままであるはずがありません。
胸を張れる成功もあれば、思い出すのも苦しい失敗もあったはずです。
志半ばで去っていった社員もいれば、経営者が判断を誤ったことだってあるかもしれない。
時代の波に飲まれ、苦渋の決断で手放した事業だってあるでしょう。
その一つひとつが、会社という体に刻まれた傷やくすみのようなものです。
でも、それは本当に「なかったこと」にして綺麗に消し去るべきものなのでしょうか。
採用サイトの取材をしていても、私は取り繕った綺麗な話ばかりを聞きたいとは思いません。
「この会社の魅力は何ですか?」と尋ねるだけでは、その会社の本当の姿は見えてこないからです。
仕事で一番辛かったこと。投げ出して辞めたいと思った瞬間。自分のミスで大きな迷惑をかけてしまったこと。社長と本音でぶつかり合った夜。
それでもなお、なぜこの会社で踏みとどまり、働き続けているのか。そうした葛藤や泥臭い話の中にこそ、その会社が愚直に過ごしてきた「生きた時間」が浮かび上がってきます。
経営者への取材でも同じです。華々しい成功体験より、むしろ夜も眠れなかった挫折談の中にこそ、その人ならではの人間性と凄みが表れます。
私はそれらをピカピカに磨き消すのではなく、できる限りそのままの温もりで残したい。
会社を古めかしく見せたいわけでも、過去の失敗を美化したいわけでもありません。
ただ、その会社が実際に乗り越えてきた歴史や時間を、嘘にしてしまいたくないのです。
そう思いを巡らせていると、我がカンドウコーポレーションもいつの間にか創業して35年という月日が経ちました。
35年も会社を続けていれば、当然ピカピカなわけがありません。
私自身、傷だらけでくすみだらけです。
会社を立ち上げた頃に描いていた青写真と、今見つめている景色は違います。
数え切れないほどの失敗をし、大きな遠回りもしてきました。
「今思えばやらなくてもよかったな」と思うような失敗もたくさんあります。
けれど、それらをすべて磨いて消し去ってしまったら、今の「カンドウ」らしさは跡形もなく消えてしまう気がするのです。
35年間で刻まれた傷も、泥臭いくすみも、すべて含めて今の私たちです。
それは、長年愛用してきた真鍮のギアと本当によく似ています。
ピカピカの新品に戻す必要なんてない。これからも現場で使い続ければいい。使い続ければまた新しい傷がつく。
色もさらに深まっていく。それでいいのだと思います。
だから私は、新品のキャンプギアをフィールドに持ち出すと少しだけ恥ずかしくなるのです。
まだその道具に、自分たちの時間が十分に刻まれていないからなのかもしれません。
80年、90年前につくられたFEUERHANDには、私の知らない誰かの時間が息づいています。
そして、これから共に過ごす真鍮のギアには、私自身の時間がゆっくりと刻まれていきます。
ピカピカだった真鍮が、気づけば渋くくすんでいる。
「また一段と格好よくなったな」と一人で笑う。
人も、会社も、案外それくらいが一番格好いいのかもしれません。
新品には新品の鮮やかさがあります。
けれど、幾重もの時間をくぐり抜けてきたものにしか出せない、深みのある格好よさが確実に存在します。
私がWeb制作を通じて会社を見つめるとき惹かれるのはいつも、そんな「くすみ」の奥にひっそりと輝く、その会社だけの本物の誇りなのです。
FAQ
「なぜカンドウコーポレーションは取材を重視するのですか?」
「なぜカンドウコーポレーションは「言語化」を重視するのですか?」
「AIは会社の「強み」をどう判断しますか?」
1961年生まれ。広島県広島市出身。広島修道大学中退後、リクルート、カーディーラーの採用・教育担当を経て、企業内の体質改善・採用・教育コンサルタント会社として、1991年2月有限会社オフィスCAN(現 株式会社カンドウコーポレーション)を設立。その後思い切った業態転換により、クリエイティブファームとしてのポジションを確立する。
福原 勘二のプロフィール