2004年4月 7日(水)22:10
我逢人(がぼうじん)
「我、人と逢うなり」
道元禅師が中国で念願の師と出逢った時に「目の当たりに先師を見る。これ人に逢うなり」という言葉にしたそうです。
自分だけで考えて、自分だけで行動していては見つからないことがある。だから、その人との出逢いこそが全ての始まりだと思った・・・という深い意味がそこにはあるそうです。
これは「ほっとする禅語70」という二玄社ということろから出版されている本をプレゼントしてもらって、その中で出逢った禅語です。書家の「石飛博光」さんが分かりやすく禅語を解説をしてくれている本ですが、色んな気付きを貰える本です。
我逢人・・・なんて奥深い言葉でしょうか。
全ては人との出逢いで始まる。自他共に認める「人フェチ」「人大好き人間」のボクのためにある言葉だと思いました。ちょっと大袈裟ですかね。(^^ゞ
ボクはあまり本を読まないんです。まだそこの域に達してないっていうか、かなりの学びを貰えるのは知っているのですが、人から貰う学びこそ尊いと思っています。
昨日の山内会長しかり。何気なく人とお酒を酌み交わす中で、自分の言ってる言葉からも気付きを得てます。(笑)
人と話をすることによって、自分の中に潜在しているモノを取ってくる、正にコーチングを飲みの場でもしているワケですね。そう考えると人と逢うことほど価値のあることはなく、そこからしか学べないとも思っています。
出逢いには偶然はないというのがボクの持論です。
逢うべくして逢っていますし、それはやはり必然だったと思います。
痛い想いをしたとしても、その痛い想いがその時の自分に必要だったから、出逢いは必然だったと思います。そう、自らを成長させてくれるために。(^^)
「我、人と逢うなり」、多くの出逢いを求めて彷徨いたいと思っています。