2011年2月15日(火)13:43
20th Anniversary!!!
本日、めでたくカンドウコーポレーションが20歳の誕生日を迎えました。
これも偏に支えていただいた多くの方々のお陰だと感謝しております。
ありがとうございます。(σ_σ)_∠※PAN!:・'°☆。.:*:・'°★°
1991年2月15日に有限会社オフィスCANとしてスタート。
安佐南区東山本のサンライズ祇園というワンルームのマンションからのスタートでした。
大学生だった弟の年を偽らせて(笑)新規のアポ取り電話を掛け捲ったのもこの頃です。無名の会社、しかも出来たてホヤホヤの会社がアポイントなんてそうそう取れるハズもなく、やっと取れたアポイントに伺っても5分で帰らされたこともあります。
今では考えられないことですが、ビシっとスーツを着てアタッシュケースを持って客先に赴いていましたね。
一番最初のクライアントはどちらとも製造業でした。
入社案内の仕事でしたけど、その一社は今尚健在です。
井上君というリクルートの仕事をしていたデザイナーと組んで、ボクがコピーを書いた記憶があります。今見ると赤面してしまいそうな入社案内ですが。
徒然でもご紹介したことがありますが、日産グループの取締役から声を掛けていただき、その会社の採用全てを任せていただいたり、地場の流通業(現在はイオングループ傘下)の採用予算全てを預けていただいたり、幸先のいいスタートを切ることができたんですよね。
就職情報誌(この当時は本です/笑)のダイヤモンド社の中国エリア代理店だったザメディアジョンと提携したことにより、一挙に営業色が強くなっていきました。
イケイケのオフィスCANと言われたくらい、営業に行ってはひっくり返し、福原ブラザーズは向かうところ敵なしって感じでした。
でも時代は流れ、景気の悪化によりどの企業も新規採用を抑圧するようになり、冬の時代に突入していきます。デザイナーが入社したことにより、アドデザインに手を広げ出したのもこれがキッカケでした。
そこから予てからの夢であったオフィスらしいオフィスに移転し、今の殆どのメンバーとの出逢いが中谷ビルでありました。和美以外は中谷ビルを知ってるんですよね。
現在のオフィスに移転した頃は、人数もまだ7人でしたし、随分とだだっ広く感じたオフィスももう手狭に感じるようになってきています。
そこから高味ちゃんがビジネスパートナーから、メンバーとして合流してくれて、島根には雪吹が加わりました。和美もインターンシップを経てアルバイトから正式にカンドウメンバー入りして・・・。
カンドウって無敵じゃんって思えたのはシゲも居てくれたこの頃がピークだったかもしれません。
由佳利が卒業して東京に出て、その後シゲが卒業していきました。
ここで奮起したのがようやくボクです。(笑)
シゲの後を引き継ぎ島根全県を担当し、担当エリアには東京、名古屋、大阪も加わりました。
まだカンドウは無敵だっ!という時代ほどではないにしても、由佳利が正式に東京エリア担当として復帰し、21期のカンドウは無敵宣言が出せるくらいに伸びて行く予定です。(*^^)v
今日、20歳の誕生日を迎えメンバー一人一人に手紙を書きました。
書いたといっても、手書きでは読めない可能性が大でしたので正しくは打ったが正解なのですが。
それを書きながらそれぞれのメンバーの顔が浮かんできました。そして色々なシーンが甦ってきて、胸が熱くなるシーンもあったり、くすって笑いが出るシーンがあったり、「20年ってやっぱり長いな~」っていうのが率直な感想です。
それぞれに手紙を書きながら、自分の気持ちを正直に綴りました。
どれだけ伝わったかは分かりませんが、「ありがとう」の気持ちだけは伝わってるといいな~って思ってます。
20歳の誕生日も過ぎてしまえば「ただの一日」でしかありません。
来年には21歳の誕生日、当然ですが再来年には22歳の誕生日がやってきます。
こうして今の大好きなメンバーと誕生日が祝い続けられること、それがボクのたった一つの願いです。大きくならなくていい、メンバーから、ブレーンさんから、そしてクライアントから愛されるカンドウコーポレーションであり続けたいと思っています。
今まで出逢った全ての人に感謝いたします。
それが自分たちにとって痛い思い出だったとしても、その出逢いでカンドウはきっと強くなっていったハズです。ちゃんと学習してきているハズです。
そういう意味では痛い思い出こそ感謝すべきかもしれませんね。
ありがとうございました!