2009年6月 7日(日)20:04
天の将に之を与えんとするや・・・
「天の将に之を与えんとするや、まず之を苦しむ」は中国漢代の学者「劉向(りゅうきょう)」の言葉ですが、直訳すると「天が人に何かを与えようとする時、まず最初に苦しませる」とていう意味です。
不勉強のボクが唯一知ってる漢文です。(笑)
サラリーマン時代の上司が教えてくださり、思わず「賢くなるためのノート」に書き記したものです。
そう、サラリーマン時代、仕事には直接関係ない薀蓄や漢字の読み、知らない言葉等を一冊のノートに書き記していたのを思い出しました。まだ持ってるハズなんですけど。
話は逸れますが、「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草」もそのノートに記してあり、当時はリズムで覚えたものです。ほんっと無意味でしたけど。(笑)
この「天の将に之を与えんとするやまず之を苦しむ」は、しんどくなった時に頭に浮かぶ言葉なのですが、先日とあるSNSにこの言葉を添えてメッセージを書き込みました。
「天の将に之を与えんとするやまず之を苦しむ」というけど、与えるものはちょっとでいいから、あなたがもっと楽になれますようにと思うボクは、やっぱり浅い人間なんだろうか、と。
その際のレスが以下です。
「何も意味なんかなくていいから楽にして下さい。本心ではそんな風にばかり思っています。」
他の人へのレスにはこうありました。
「普通に呼吸したい。普通に食べたい。普通に話したい。普通に動きたいです。」
「社名に掲げたチームという文字」 に書いた元経営者の友達の続編ですが、食べることはおろか、喋ることもままならない、そして呼吸することさえもしんどい日があると聞きます。(^^;
ボクはこうして書くことで応援するしかないですけど、天は何を彼女に与えようとしているのかを考える日々です。いや、与えるものはなくてもいいから、早く元の彼女に戻らせてあげたい!
治ることは奇跡に近いのか?と思ったりもしました。でも今は必然だっ!と思えます。
448グラムで生まれた真結ちゃん。2004年のことですから、今年で5歳の誕生日。(^^)
あの時、誰も疑わなかったハズです。真結ちゃんはちゃんと生きる、生き続けると信じられました。そして本当に退院の日を迎え、1歳の誕生日、2歳の誕生日・・・と今年で5歳。\(^0^)/
流産と早産の狭間で生まれた真結ちゃんが全国の皆さんからの強い「念」と、ご両親、ご家族の深い愛情、そして医療従事者の方々の熱意で生きることができました。(^^)
彼女の周りには本当に頭が下がるほどの熱意を持ったドクター、看護士、栄養士が集っています。そして全国の仲間、友達たちも日々強い念とメッセージを送り続けています。オフィシャルでもずっと支え続けられていたお姉さん、もちろん彼女の子どもたち。まだ何も分からないお孫さん・・・。
きっとここで「完治、退院されました!」と嬉しい報告ができると信じています。
ううん、信じるも何も、その日はきっと来る。必ず来る。言葉に魂は宿るんです。v(^^)v
「一日一生」・・・これは私が以前セミナーに行ったときの中で聞いた言葉です。
明日が来るとは限らない。そんな保障はどこにもない。
朝起きた時に産まれて、夜寝るときに死ぬ。
そう考えたら、どんなに小さなことでもとても大切に思えてくる。
“おはよう”“お疲れ様”などの挨拶も“ありがとう”“ごめんなさい”などの言葉ももう明日会えないと思ったらもっと心を込めて、気持ちを込めて相手に言うだろう。
“明日でいいや”って思うことも“今やらないと”となる。
常に後悔のないようにということ。
自分の周りにいる大切な仲間や大切な家族や恋人。
そのほかの人にも言葉のかけ方や接し方も変わるだろうし、遣り残したこと、言い残したことがないように必死に生きる。
最近、私の周りで急に病気になって・・・急に倒れて・・・急に亡くなって・・・という話が次々と入ってきました。
今まで、あまり「生きる」ということを真剣に考えてなかった私は今それが自分だったら・・・と考えました。
遣り残したこと、伝えたかったこと、小さなことでもちゃんと伝えられてる?って。
身体も健康で何不自由なく暮らしている今の生活が当たり前になりすぎていて・・・。
当たり前のことが当たり前にできない人もたくさんいるのに・・・。
話が逸れて行ってしまいましたが、ブログを読ませていただいていて必死で“生きよう”と頑張っている人たちに負けちゃだめだってまた改めて感じたので長々とコメントさせていただきました(^^;
>monkeyさん
コメントありがとうございます。しかもとっても深いコメントで嬉しくなりました。(^^)
全文引用したいくらいですが、以下かいつまんで。
> “おはよう”“お疲れ様”などの挨拶も“ありがとう”“ごめんなさい”などの言葉ももう明日会えないと思ったらもっと心を込めて、気持ちを込めて相手に言うだろう。
カンドウは挨拶を凄く大切にしています。
でも気持ちを込めて言えてたかと訊かれると、ちょっと辛いです。
「取り敢えず挨拶しとこう」になってないか。(^^;
「おはよう」「お疲れさま」「ありがとう」「ごめん」・・・よく言葉には出しているつもりでしたけど、気持ちを込めて言葉に乗せれるよう、ちょっと意識してみますね。
気付きをありがとうございます。
> 当たり前のことが当たり前にできない人もたくさんいるのに・・・。
今回書かせていただいた友達もそんな人の一人です。
あれだけ矍鑠と(かくしゃくと)喋れていた友達。自分の意見を臆することなく言葉に乗せて、それでいてちゃんと人を思い遣った発言ができていた友達。
そんな彼女は普通に会話するままならないと聞いています。(^^;
ありがとうございます。
何度も何度も読ませていただきました。(^^)