2005年8月28日(日)15:33
33回忌
今日は親父の33回忌の法要でした。
今日みたいないい天気で、でも今日よりももっと暑い夏でした。
あれから32年。33回忌を迎えました。
福原家は財産はなくても、由緒正しき家柄みたいで、東京の青山霊園にもお墓があります。今日知ったのですが、親父は東京生まれで、元々東京に住んでいたみたいです。だから青山霊園なのかとやっと知りました。(^^;
青山のお墓はキレイにしたのですが、広島のお墓は歴史を感じさせる古い佇まいです。周りのお墓がどんどんキレイになっていくのに、ウチのお墓だけ古いまんまでした。
今回33回忌を迎え、そして生涯で一番愛したであろう女性、おばあちゃんの33回忌が来年になります。
決めました。お墓をボクの代でちゃんとしようって。
今年から来年に掛けてお墓を建て直します。先祖があるから今の自分が居る。そして何よりも、ボクをめいっぱい愛してくれたおばあちゃん、おじいちゃん、親父が眠る墓。
自分が生きた証として、自分も入るであろうお墓をキレイに生まれ変わらせようと思っています。
親父の兄弟のうち、男兄弟は全員亡くなり、残っている姉妹たち(ボクにとっての叔母)から、色んな親父を話を聞けました。今まで知っていたこともありましたけど、知らなかった話も沢山ありました。
ぶどうが大好きだった親父。ボクもぶどうには目がありません。(笑)
長男である親父がぶどうを買って来て、兄弟みんなで均等に分け合い食べたそうです。きっと一房とか二房しかなかったんでしょうけど、それを分け合っている姿が浮かんで来ました。
東京で親父が生まれたのも今日初めて知りましたし、親父が東京に住んでいたのも今日知りました。東京に縁を感じるのはそういうことなんですね。
親父が死んだ時、弟は4歳でした。何も分からずにきょとんとしていた弟も今年で36歳。
この弟にとっての父親であろうと心に決めた日が32年前の今日です。
いつもはオフィシャルで逢う弟も、今日は完全に親父の息子として逢いました。男兄弟で良かった・・・とつくづく思います。
親父に感謝することの一つが、弟の存在です。
生意気になりましたけど、やっぱりボクにとっては掛け替えのない弟ですし、自慢の兄弟です。それも今日感じたことの一つですね。(^^)
何も言葉はいらない。ただ居るだけで嬉しいと思いました。
33回忌の今日、色んな発見もあり、再会もあり、親父が引き合わせてくれたんだと思います。心静かに今日の日を過ごしたいと思っています。
追記 祖父、祖母、父、母・・・という言い方は知ってます。(爆)
今日のお話、ズシリときました。
真結が7月3日に生まれ「今日でダメか、明日までもつか」という最中、私が目標にしていた日があります。
それが8月10日。祖父母の法事でした。
祖父は私が生まれる前に他界しましたが、祖母は平成8年に数え88歳で永眠するまで、初の内孫として生まれた私をとても可愛がってくれました。
祖父が早くに逝った為、女手一つで5人の子供を育てた明治生まれの上州女は、「気の強さ」では男にも雷さんにも引けを取らなかったようですが、私には本当に優しいおばあちゃんでした。
「8月10日までもってくれれば、おじいちゃんとおばあちゃんが何とかしてくれる」
そんな漠然とした御伽噺的奇跡を真剣に信じていたんですから、なんとも他愛ない36歳です(私も酉年なんです(^^ゞ)。
果たして8月10日を迎え、法要を終えて帰ってみると、私の勝手な絵空事は現実となったのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/mayu448g/diary/200408100000/
「先祖があるから今の自分が居る」
その通りです。先達から連綿と受け継がれた命を次に伝え育てていく使命を担う順番になって、少しだけ感謝できるようになった気がします。
そんなこともあり、今年の8月10日は感慨深く昨年を振り返り、そして娘の寝顔を見ながら改めて祖父母に感謝しました。
追記:ところで私も弟と二人兄弟です。
が、今ひとつ反りが合わず殆ど会うこともありません。
福原家の兄弟愛にいささか嫉妬しました。(^^ゞ
>真結ちちさん
例のミッション、確かにデザイナー大志に引き継がれていますからね。
もう暫くお待ちください。
真結ちゃんの経緯を知ってただけに、8月10日にそんな想いがあっただなんて、ますますもって感慨深いですね。そんな真結ちゃんももう一歳。
間違いなく、おじいちゃんとおばあちゃんが何とかしてくれたのだと思います。(^^)
昨日、絶対に足を向けて寝れない叔母に言ってもらった一言。
「おばあちゃんから何度も『勘二を頼む』って言われてたんよ。自分の死期を知ってたかのようにね。初孫というのもあったけど、ずっとおばあちゃんは勘二のことを気にしとったんじゃけえね。じゃけえ今でも絶対におばあちゃんが守ってくれとるんよ」って。
ボクも常にそれは感じています。
こうしておばあちゃんの話や、親父の話を書いてる傍でもにこにこしながら微笑んでくれてると思っています。(^^)
真結ちちさんのおじいちゃんおばあちゃんも、きっと真結ちちさんの傍で見守ってくれてますし、大切にしてた真結ちちさんの娘ですから、力を貸してくれたのは確かだと思いますよ。
PS ウチの兄弟は筋金入りですから。(^^)V
今まで何度もお互いで支え合いこしてきましたしね。
今までもですし、これからも変わらない兄弟愛だと思います。
BOSSの真結ちちさんへのコメントを読んで、久しぶりに思い出したのが、おばあちゃんの声。
息子が生まれる前の年、お雛様が大好きだった彼女らしく、桃の節句があけた翌朝に亡くなったのですが、私もBOSSと同様、超ハイパーおばあちゃんっ子でした。(^^)
「紀子、ママに心配かけるんじゃないよ、ママを頼むよ」
病院に入る前、最後の電話で話した会話を締めくったのが、この言葉だったのです。今でも私の耳に声色そのままに残っています。
どんなに母が介護ストレスにキレた時も、話したいことが溜まっていて徹夜仕事の翌晩に雪崩のようにオシャベリをされた時も、何とか受け入れているのは、もしかするとこのおばあちゃんの言葉が心の底にしっかり根付いているからなのかも。
お風呂上りに鏡を見ると、「あ、おばーちゃん♪」と思うほどそっくりになってきたkikoでした。(笑)
>kikoさん
おばあちゃん子繋がりがまたここにも一人・・・ですね。
おばあちゃんの力って偉大ですね。ある意味母親よりも凄い。
よく責任がないから無償の愛を注げるって言いますけど、責任の大きさは違えども責任がないワケじゃないですよねぇ。
「ママを頼むよ」と「勘二を頼む」。
言ってる相手によっては、言葉を使い分けていたのかもしれません。
おばあちゃんはkikoさんのママに対しては「紀子を頼むよ」って言ってた可能性は大ですね。(^^)