2003年10月19日(日)22:10
心の病
最近世知辛い世の中のせいか、ストレスからくる心の病が密かに流行ってますね。(^^;
友達も会社を辞めるくらい酷くって、ボクにしてあげられることはただ話を聴いてあげるくらいですし、「大丈夫だよ」「焦らなくていいからさ」って言えるくらい。
最近は講演やセミナーでも喋ってるんで別に大したカミングアウトじゃありませんけど、ボク自身も数年前心の病「不安神経症」で苦しみました。
その時は何もかもに無気力になってしまい、自らで心療内科の門を叩きました。
それから突然の過呼吸で発作が襲って来たり、突然心臓の辺りが痛くなったり、どよーんとした重苦しい空気が自分を包み込んでいて、とても苦しい日々を送った覚えがあります。
その時、ウチのスタッフには全てを打ち明け自分の置かれている状況を包み隠さず伝えて、「支えて欲しい」と言った記憶があります。
「焦りんちゃんな(広島弁で焦らなくていいんだよ)」「今まで走り続けたんだから、ゆっくりでいいんじゃけえ」「仕事したくない時はゆっくり休んで」とか、決して「頑張って」とは誰も言いませんでした。
「頑張って」と簡単に言ってしまいますが、目一杯頑張ってる(頑張ろうとしてる)人に対して「頑張って」ほど酷な言葉ってないんです。
それを知ってか知らずか誰も「頑張って」とは言いませんでした。
それどころか「頑張らなくていいから」って。(^^)
どういうキッカケで治ったのか今も分かりませんが、一人で「海を見に行きたい。太平洋が見たい」って四国の高知まで行ってきました。それさえもスタッフは快く背中を押してくれて、太平洋の雄大さを心の中に留めてリフレッシュして帰って来ました。
当時を振り返って「このまま死んでしまうんじゃないか」と気が気ではなかったと言われましたけど、自分でもふっと「死」を考えてることもあったと思います。クルマを運転中に「このまま真っ直ぐ走って行ったらどうなるだろ?」と考えてたり、なんかとっても危なっかしい自分でしたね。(笑)
今は笑えます。自分の弱さを真っ直ぐに見つめられるようになって、それを自分の中に認めることができるようになって、自然体でいれるようになりました。
あの不安神経症がなかったら、今の自分はなかったかもしれません。
いいタイミングでボクにあの試練を与えてくれたんだと思います。
そしてそれを乗り越える支えとなったスタッフとの絆もより深くなり、人の痛みに今まで以上に敏感になりました。だから不安を抱えてる人が寄って来るんでしょうね。(^^)
ボクに出来ることはたかがしれてます。医者でもなんでもないですからね。
ただ同じような苦しみを味わった者として、心で会話が出来るような気がしています。
どんなに自信家に見えてもボクの根底は「自分の弱さとの対峙」です。その弱さと闘い、自分に対して「クソッタレっ!!!」と思いつつ、「まだまだこんなもんじゃねえゾ」と発破を掛けてる自分がいます。
そういう自分を見つめた時、ちょっとは強くなれている自分に出会えます。(^^)
少しずつでいいんです、よちよち歩きだっていいんです。自分が気持ちのいいペースで歩き、時にはぶっ飛ばして走りまくり、そしてぶっ倒れる。それさえも快感なんですよね。(笑)
身の丈を知り、自分の器を知る。だけど個が集まったパワーの凄さだけは信じられる。カンドウの強さだけは信じられる。カンドウを率いてる自分は認めてあげたいと思っています。(^^)\