2010年2月27日(土)17:20
雪吹重之という男
もしかして初?小田と同行で島根のクライアントにご挨拶に伺いました。
今まで雪吹がお世話になったお客さまとの引き継ぎがメインだったのですが、社長・副社長揃い踏みというのは、実はあまりないことなのです。
それだけ雪吹の抜ける穴は大きくて、トップ1、2、二人掛かりで対応していくしかないくらい、大きな大きな穴だったワケです。結果、二人が責任を持って対応させていただくということに、クライアントからは高評価していただけましたが。
改めてこの雪吹重之という男、今までのカンドウにはいないタイプの男でした。
今回引き継ぎにあたり、引き継ぎ書なるものを作成し、クライアントごとに遣り取りや契約書、お見積書、どういう経過になっているか、がよくまとめられています。
このシートを見ると、今までの流れが手に取るように分かる代物です。
また全てはクライアントに不安を感じさせないようにと、極力お逢いしてご挨拶をするようにしていました。前回の松江入りではボクと同行し、今回の松江入りはボクと小田。仕掛かっている仕事は、スムーズなランディングができるように、きめ細かい対応をしています。
「全てはクライアントのために」
「全てはカンドウのために」
まさにそんな感じで駆け抜けてくれた4年間。
初めて出逢ったのは浜田でした。
しまね産業振興財団主催のプレゼンテーションセミナーの講師に招いていただいて、そこに松江からスタッフとして駆け付けたのが雪吹でした。
「何か面白いことを一緒にやりたいよね」と語り合い、熱い握手で分かれたのですが、それから僅か数ヵ月後、現在も続いている「Webあきんど養成ジム」のスーパーバイザーとしてそれはカタチになりました。
あれから7年の年月が流れたことになります。その半分以上はカンドウメンバーとして、一緒に脳みそに、身体に汗を掻いてきました。
昨日、一昨日と一緒にクライアントにご挨拶に伺い、つくづく素敵なクライアントに囲まれているな~と感じました。それもこれも雪吹重之という人柄が招いたご縁、紡いだご縁だと思います。
雪吹なき後はボクと小田とが対応するしかない、という結論に達したものの、やはり離れているがゆえの不都合をクライアントに掛けてしまいます。雪吹の後釜となる人財にはなかなか巡り合えないだろうと高を括っていましたが、逆の発想でボクらにも、雪吹にもできない部分を持った人財は必ず島根にいるハズだ、とも思い始めています。
ということで、メンバーを募集します。何ヶ月かは広島本社で過ごしていただきます。
その後、松江で仕事をしていただきます。
プランナーなのか、デザイナーなのか、その中間なのかは分かりませんが、一度話を聞いてみようと思われた方は、是非ボク宛にメールをいただきたいと思います。性別、年齢は問いません。
給料等の諸条件は決して良くはありません。夜も遅いでしょうし、休日も仕事することもあります。
でも他にはない「何か」がカンドウには必ずあります。
お互い納得がいくまで話をしましょう。一番両者にとっていいカタチを探しましょう。(^^)
fukuhara■can-do.co.jp ■には@が入ります。
一緒に島根を面白く&熱くしていきましょうっ!
雪吹重之という男は・・・
真剣に人の話を聴いて、ちゃんと自分の意見をぶつけてくる、そんな男でした。
クライアントのためだったら、寝食を忘れて没頭する男でした。
仲間をとっても大切にする男でした。
家族をとても大切にし、美人の奥さんに「愛しとるけんね」とメールを打つ男でした。(笑)
出来ない理由ではなく、どうやったら出来るか、そればかりを考えている男でした。
クライアントからとても信頼されている男でした。
一緒に風呂に入り、ちん○をブラブラさせながら、シャワーで攻撃し合う、そんなお茶目な男でした。
酒は強いのに、メンバーを酔わすのが好きな男でした。
今の松江の若者が使わないような出雲弁を流暢に操る男でした。
情に脆く、クライアントの痛みが分かる男でした。
天皇陛下に対しても自分の考えを言ってしまう(本当です)、ちょっとヒヤヒヤする男でした。
韓国が好きで、竹島を「平和の島」にするというとてつもない考えを持ってる男でした。
曲がったことが嫌いで、怖いくらい真っ直ぐなところを持つ男でした。
シゲと過ごした4年間はとても熱いものでした。
ヤツと一緒に飲む酒が好きでした。
大好きな男でした。
そして大好きはこれからも決して変わることのない感情です。
雪吹重之、あなたのカンドウコーポレーション卒業をここに証します。