2005年6月10日(金)19:23
ヒロシマ被爆60年Tシャツコンテスト
審査委員長の大役を仰せつかった「ヒロシマ被爆60年Tシャツコンテスト」の審査、及び発表が無事修了しました。
傑作揃いのデザインの中から、賞を決めるというのはほんっと難しかったです。
そしてその発表を受けて、広島ホームテレビさんの「Jステーション」に生出演してきました。思いの他緊張しました。(^^;
今回のTシャツデザインはプロ、アマ関係なく、年齢も幅広い層の方々からの応募がありました。しかも「想い」や「メッセージ」が込められているデザインが殆どで、レベルも高かったですね。
「ボクが選んじゃいけんじゃろ」っていうくらいのプロのデザイナーの作品もあり(当然、審査の時は名前を伏せていますから、受賞が決まって知りましたけど)、「もう二度と審査委員長なんて引き受けないゾ」と心に固く誓いました。(笑)
ボクは被爆二世ですから、86(8月6日の原爆記念日)は人事ではありません。
でも今回のようなコンテストに自分が関わらなかったら、もしかしたらあまり意識もしなかったかもしれません。そういう意味ではこうやって声を掛けていただき、関わることができたことに感謝しています。
しかも声を掛けてくれたのは、会社設立当時からの仲間の社長、インフィニティの田原社長でしたからね。選考するのはキツイ部分は多かったです(何度も書きたいくらい難しかったです)が、意味のあるイベントに関わらせていただいたと思っています。
テレビの生放送は初めてのことでした。事前収録は慣れたものでしたけど、カメラの数に圧倒され、照明の光が降り注ぎ、テレビでは見慣れたアナウンサー(渡辺アナはマジ可愛かったです/笑)が余裕の笑顔で・・・。テレビの世界の面白さも垣間見れたような気がします。当然、作る側で、出る側はもうこりごりですが。(^^;
一緒に出演したインフィニティの木戸さんは余裕綽々。ボクは余裕くしゃくしゃ。(笑)
ステージ度胸は満点の木戸さんに比べ、ボクは・・・。(泣)
1ヶ月もすると、審査委員長のギャラ?としてTシャツをプレゼントしてもらえることになっています。これらのTシャツを着て、ボクなりにメッセージを発信していきたいですね。
Tシャツは洗濯を繰り返すことによって色褪せますが、そこに込めた想いは決して色褪せることはありません。やっぱり、「平和がいいに・・・決まってるっ!!!」
実は、私も被爆二世なんです。
最優秀賞のTシャツ、私にもとても伝わってきました。黄色も好きです。
田原社長さんともこの前初めてお会い出来ましたし、今度飲みましょうという事になっています。(日程を決めないと・・・)
今年の夏も暑い夏になりそうですね。
きのぴーでしたヽ(´▽`)/
ここに書き込むのは初めてですね。
初・TV生出演おめでとうございます。\(^0^)/
私も被爆者2世で、小さい頃から祖父母や父から話を聞いてました。父が小学4年生の頃の作文を読んだ事があります。とてもリアルに書かれてて、とても辛い・悲しい日々だったんだなとその作文から読み取れました。
小学生の頃、道徳の授業で年に何度か平和教育を受けてました。平和の歌もよく歌ってましたね。”青い空は~、青いままで~♪”(あっ、歌えますね。)それほど平和教育を取り入れたんだなと思います。
オーストラリアで他県の人と多く出会いましたが、彼女達は平和教育はあまり受けてなかったようです。私の中では広島での平和教育の取入れが普通だと思ったのですが、そうでないと聞いたときの衝撃は大きかったです。
原爆の日は歴史の中では一生消えません。ですが、戦争の体験・悲しみ・辛さを知らない私達、子ども達には風化されるでしょう。そうならないために、皆が平和の尊さを知るために平和であるためには、平和学習をもっと取り入れるべきだと私は思います。また、親、周りにいる大人が子どもに伝えていかなければと思います。
かわいい、おしゃれなTシャツをきて、平和を伝える・・・、とても素敵な企画でしたね♪
60年たった今、平和の尊さを実感しました。
ところで、ほしいTシャツがあるんですけど、買えないんですかね?
>きのぴーさん
正にこのマメさが広島を代表するブロガーの理由なんでしょうね。(^^)
2回目の登場、ありがとうございます。
田原社長はとっても面白い方ですよ。それでいて真面目モードの時は頼りになりますし。
飲み会、日程が合えば参加したいなあ。。。
>まゆみちゃん
被爆二世繋がりだったんですね。きのぴーさんもそうみたいですし。
広島はやはり二世が多いですよね。
今の若いコは原爆の恐ろしさを「平和学習」というカタチで教えてもらっていますけど、もっとボクたちが子どもの頃のような環境(おじいちゃん、おばあちゃんからも話を聴いていましたし)が作れればいいんでしょうね。
欲しいTシャツ?今回、賞を受賞したTシャツは手に入りますよ。
この場で数を集めて注文するのもいいかもですね。商売、商売。(笑)
2世繋がりということで・・・
実はわたしも被爆者2世です。
わたしが子どもの頃、おばあちゃんから戦争の話、
原爆が投下されたときの話、再生していく広島の話などなど、
よく聞かせて貰っていました。
そのせいもあってか、周りの友達に比べ、
平和に対する気持ちは強かったように思います。
わたしも含め、子どもたちも実体験としての戦争を知らない世代ですが、
当時のことを風化させないためにも語り継いでいかなきゃいけないと思います。
今はわたしの母が、子どもたちに戦時中の話をしてくれています。
平和であることの大切さをしっかり感じとって欲しいですね。
あゆさんも被爆二世でしたか。まあこの辺りでは当たり前のことですよね。
実家がこちらって言われてましたし。
原爆の忌々しさは風化させたくはないですけど、ただそこだけを取り上げるのではなく、そこから這い上がってきた広島人の生き様も含めて、伝承していきたいですね。
ただ「ヒロシマ=被爆地」からの脱却もボクらの世代の責任のような気がします。
被害者意識だけじゃなく、もっと前向きな86。
原爆を風化させることなく、そして平和を全世界にアピールしつつ、でもそれだけじゃない「ヒロシマ」を創りたいと思うのは、ずっと以前から考えていましたね。ボクに何が出来るか分かりませんけど。
ようやく、受章デザインを見る心のゆとりができました。
で、早速見に行ってきました。(^^)
デザインそのもののよさもモチロンありますが、かなり多くの応募者が、戦争を実感できる経験のない年齢層なのではないかと想像しています。
若い人たちが、こうやって戦争と平和を考え、人としての生き方と真剣に向き合うことって、普段はなかなかないのでは?と思います。
そういう意味でも、素晴らしい企画でしたよね。
私の母は、祖母と5人の弟・妹と共に満州に疎開をしていました。祖父は終戦直後、シベリアに抑留されたそうです。
おばあちゃんっ子だった私は、祖母から満州での幸せな生活、一転して戦後の悲惨な状況、満州から戻る船の中のこと、日本に戻ってからの闇市や親戚を転々としたことなど、事細かに聞いているため、聞いている範囲のことなら、戦争を体験した人たちと同じレベルで会話ができまするほど詳しいのです。
でも、祖父は一度もシベリアのことを語ろうとはしませんでした。それほど、極寒の地で、想像を絶する辛さと戦ってきたのでしょう。
唯一知っているのは、帰国した時には老人のように髪が真っ白になっていた、ということだけです。
広島の強さや熱さは、きっと原爆後の「ゼロ」から復活したパワーや熱意によるものではないでしょうか。
今に生きている人たちはその「無から有を産む」勢いを受け継いで、大きな“何か”を成し遂げてほしいなぁと思っています。
それが、平和の素晴らしさの証となるような“何か”を♪
>kikoさん
> 広島の強さや熱さは、きっと原爆後の「ゼロ」から復活したパワーや熱意によるものではないでしょうか。
ボクもそう思います。
広島人って「熱い」人が多いと思うんですよね。
広島は仁義なき戦いの舞台となりましたが、これも熱さの表れなのかなあって勝手に解釈してます。(爆)
広島人の人情は大阪のそれとは違う人情だと思います。
60年前、復興という未来が全く見えなかった時から、みんなで手を取り合いながら生きてきた人の情が今も残ってると思ってます。
> 今に生きている人たちはその「無から有を産む」勢いを受け継いで、大きな“何か”を成し遂げてほしいなぁと思っています。
> それが、平和の素晴らしさの証となるような“何か”を♪
ですね。(^^)
焼け野原の中から今の広島があります。
あの惨状に口を塞ぐのではなく、それを伝承しながら「無から有を産み出した先人たち」の熱いNDAをも伝承していくのが、ボクら広島人の使命だと思います。
色んなことを考えさせてもらったコンテストでした。(^^)