2005年4月15日(金)15:06
心の旅
心の旅と聞いて、「あ~だから今夜だけは~君を抱いていたい~♪」って出る人は、良く言えば大人です。悪く言えばおじちゃん&おばちゃんです。(笑)
別に本当の旅に出なくったって、心の中で旅は出来ます。
本当の旅かイメージの中の旅かは別として、ボクは「心の旅」をしてきました。
そんな中で出逢った一つの言葉。
「真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)」。
意味は「本物は泥の中だってちゃんと光輝く」という意味みたいです。調べていくと、これも禅語ということが分りました。
読み進めていくと、「まわりなんか気にせずに自分は自分で勝手に輝いていればいい」とか、「マイペースでいいんだよ」とか、まるで自分に対して言ってくれている言葉でした。
多くの言葉の中で、この言葉にピンっときたのには、自分の心の中の求めているものと一致したからに他なりません。
ボクはこう詠みました。
どれだけ「真玉」になれるか・・・。
そしてその玉は磨き続けなければ意味はない。
現状に満足するも自分ならば、現状を否定して生きるのも自分。
ただ自分で自分を「認める」ことは、もっと大切・・・と。
「真玉泥中異」、ちょっと前の「照顧脚下」。
その時その時に、道標のように様々な言葉が自分の目の前に現れます。
その言葉との出逢いの中、真摯に自分の心と向き合っていきたいと改めて思います。
出逢って心から手が出るように手にした言葉、心にした言葉の殆どが「禅」に通じ、仏教に通じてます。
仏門に向かえ・・・という示唆ですかね?(笑)
・・・真玉泥中異・・・こころに響く言の葉ですね。
「泥の中を潜るからこそ、その人の真我が光り輝いてくるんですよね。」偶然にも昨日はそんなことをクライアントと話したんです。
なので、今日突然思い立って衣替えしたオニューの携帯(W31S by Sony-au-)に、この徒然をPCからメールしていつでも見れるようにしました。
最近はここでよい禅語を教えてもらって嬉しいです。ありがとうございます。
#でも、、、、どうか仏門にはまだ入らないでください。。。たくさんのファンが泣きますから。(^^)
>aquaさん
禅の世界の言葉って、心に響きますよね。
近いうちに坐禅を体験したいと思っています。
心静かに、自分に問い掛けをしてみたいですね。(^^)
ただ単に言葉の上っ面を捉えるのではなく、その言葉を自分のものとして心の中に留めることができたら素敵です。時間は掛かるかもしれませんが、それもまたよし。(^^)
> #でも、、、、どうか仏門にはまだ入らないでください。。。たくさんのファンが泣きますから。(^^)
あはははは・・・。(爆)
書いただけで、仏門とはかけ離れてる世界に生きてるようですし、それがまた自分らしいと感じてるくらいですから、入りたいと思ったとしても、きっと受け入れてもらえないと思います。
仏の慈悲をもってしても、「お前はまだまだじゃ」と言われるんでしょうね。(笑)
サイキです。先日は熱いお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。お蔭様で「やる気」モード全開です!(強烈な二日酔いでしたけど)
先日、精神を鍛えねばと思い立ち、坐禅を体験してきました。広島駅裏から徒歩10分の場所に、「聖光寺」(しょうこうじ)という禅寺があり、毎月第二、第四金曜日の早朝6時から、「早朝坐禅会」が開かれています。以上、情報まで。
それでは、失礼いたします。
>佐伯さん
お~初のポストですね。ありがとうございます。
先日は楽しい時間でした。やっぱり志ある人たちとの飲みは大好物です。(^^)
また是非飲みましょう。こうさん家に集合~~~ってね。
坐禅をされているとは羨ましい。
早朝坐禅会、是非チャレンジしたいと思います。
早朝っていうのが気がかりですが、清々しい一日を過ごせそうですし。
今、一番興味のある世界です。自分と対峙できそうですしね。
情報、ありがとうございました。